紙障子や木戸から窓ガラスへ~環境と共生していた日本の住まい
私たち日本の住まいにガラスが使われるようになったのはそれほど昔の事ではありません。明治以前の建築物は、ガラスとはほとんど無縁でした。江戸末期には極めて限られた一部の大名や富豪が高価な輸入品として使用していましたが、庶民の住まいの開口部は、木戸あるいは紙障子で内と外が仕切られていました。
窓や壁を強固なものとして発達させてきた西洋と比べ、日本の建築空間の伝統には、明確な外部空間と内部空間の対立がありません。日本人は自然(環境)と融合し、四季の移ろいを取り入れる暮らし方を選択していた、ということができるでしょう。非常に強い共同体としての住民意識と、比較的温暖な気候がそのような開放的な暮らし方を支えてきたと言えますが、まさに環境と共生する住まいでありました。
明治維新後、政府の作る洋風建築などに輸入板ガラスが使われ始めます。また明治後期に国内のガラス工業が起こり、これによって庶民は建材としての板ガラスに接することになりました。もともと開放的な空間であった日本人の住まい「には透明な板ガラスは比較的容易になじんでいきました。それは障子がガラスに置き換わっていく過程に見ることができます。しかし生活に容易に溶け込んだ分、透明性を除いては強固な壁と比較される性能をガラスに期待することも、長い間あまりありませんでした。
さて、日本の住まいには「土蔵」という、きわめて閉鎖的な建築があります。蔵は、究極的には耐火建築物として財産を守る、いわば外部(環境)と対立することを要求される建築物です。住まいが開放的であった分、蔵は気密・断熱・遮熱・耐火・防音・防犯に優れた構造を持っていました。現在私たちが住まいに求めるシェルターとしての性能はこの「蔵」にすでに満たされています。
しかし残念ながら「蔵」は居住空間ではなく収蔵庫であり、この中で暮らすことはできません。仮に、この性能を保ちながら蔵の中で暮らすとしたら何が足りないのでしょうか?